idea
説教、炎上では、炎上対象の考えを知ろうという対話は求めていない
怒っている人の感情と、主観的な不快感に対して申し訳ない態度を取って欲しいだけ
全く問題のないことでも、〜かもしれないとか言って責任感等の話と結び付けられ、反省の色を見せさせようとする
(事実上全く問題は起きていない)
→学習させ、事情に応じた要請をするべきであるだけ
被害者の怒りが治まらないから死刑にする、酷い殺し方をするなどということが許されて良いのか
仕事に目覚め、本当の自分を取り戻した感じ
完全に垢抜けた
すごく良い意味で大人になった
大人は全員こうあるべきだと心から思った
すごい輝いている
この世界で最もおかしいこと。すべての人が自然体で存在することができず、生きるには何かの型にはまって苦痛を強いられる労働を必要とすること。否、そのような風潮で社会が形成されていること。
自分がやりたいこと(職業)がずっとないのは、やりたいことが自分の中で明確だったからなのである。自分のやりたいこととは、抽象的なイメージを探求すること。それには社会的な意味はなく、一般受けもしないので職業にはできず、また、人に見てもらうものは人に見てもらうことを意識して作るので本来の意味が表現できなくなってしまう。
つまり、自分のやりたいことは、誰かの需要が先行する職業ではない。
だから職業はそれとは別の生きるための手段だと割り切れれば良いのだが、手段であってもその職業に対して割かなければならない時間と労力と精神力と気力があまりにも大きすぎて、それをやった場合、本来やりたかったはずのことさえも、考えたくても考えられなくなってしまい、自分にとっての生きる意味、自分にとって大切なことさえ失われる。それを危惧している。
引きこもりの息子は母親の家畜でありおしゃぶり
国民みな怠惰、ほぼ仕事せず金が貰える議員のような生き方は理想、国民も文句は言うが何もせず、後は野となれ山となれ
騎士団長殺し、一人称単数、神様になった日、シンエヴァ、猫狩り族の長、
飛鳥昭雄「現実がフィクションを追い越した」
フィクション(幻想)の消滅、リアルとの接続
リアルの人格の考えや精神を共有、理解し合う世の中になっていく
理想としてのフィクションと、それを持つ作者の理不尽な現実との折り合いを、フィクションと現実との折り合いをつけて接続、一つの現実にする
現実の折り合いをフィクション側でつける(現実の自分を変える、または受け入れる)か、フィクションを変えて現実に則した理想像をつくるか
無意識と無意識の、雲を掴むような調和、コミュニケーション
自分が助けたい、でも見ていない存在はなにか。
自分の中の、見て見ぬふりをしている、救われたい概念を世界の誰かに還元、接続するとどうなるか
救いたい存在…何かを教える場で、何らかの形式を強いられ、自然でいられず、その形式を善とするような空気に晒される者
シミュレーション能力を
向上させて
現実化させよ
この世界が
なんであろうと
全て創ることも可能
仮想空間は
感謝や感嘆や感動の中に
あります。
肉体に見えるものは
全て見えない世界ともリンクが
濃厚になるだろうね〜。
円環を描いて自分へと還っていく
虚構が現実になる=現実が虚構になる
現実/虚構→虚構/現実
だから虚構を描いてきた人たちは現実を描き始めた??
それらの人は入り込むものを作ってきた、それらの人は現実にも入り込んでいた。自分は現実に入り込まず創作物のように捉えていた
抽象的概念に基づいて現実が作られるようになる
精神の空間的存在=「自然」
コロナでネットが社会化、現実が侵食
フィクションが侵食してきているのではなく、現実が虚構化してきている説
現実の虚構化の上には
孤独と、自分の業、無意識の表れ、その共有
時間なんて存在しない、長期間の不確定の感覚、一週間も数百年も変わらない。
変化は変化の内に入らない
そうやって時を超えて数百年過ごしてきたから、1ヶ月の寿命でもセミは必ず鳴くのだろう。
fps、ゲームの視点にどれだけ移入するか
アニメの作画、無意識の美ではなく機械美
ネット小説の様式→キャラ、シチュにどれだけ入り込むかという楽しみ方
アイドル 宗教 思考停止で憑依し入り込む
仕事もそう、誰かが作った創作物の中で働いている
自分が虚構を見ているのではなく、自分以外のみんなが虚構を見ているという怖さ
自然ではなく、人工的なもののはずなのに、いとも簡単にその創作物に入り込んでしまう
作者が見えない、もはや作者は存在しないのです、おそらくキャラクターや世界が勝手に動くいていくように創作している。
適応しにくいゲーム、知らない世界に適応していくのが一生
世界は私を説得できなかった、というのも自然の摂理
私の無意識によって世界が崩壊しても、そこに世界がなかったわけではない。
私と世界との自然の成り行き
「その人のためになりたい」は、その人の本質とは関係ない自分のエゴ。その人の欲求は表面的に歪んだものかもしれない。その人の本質的な「自然」に対して、そのためになると思ったもののみに対して手を差し伸べるべき。
客観的対象に自分が入り込む→幽体離脱
○○さんは未来に眠る→人類は環境のための糧となる
三大欲求から放れろ
母
こうあるべき、という理想像のために嫌なことがあっても行動する、いやなことが多いとしても、本質的にはやりたいからやっている→行動している時点で少しの心はあるから、形式的な少しの心の感謝でも少しは嬉しい
心がこもっていなくても、その人が喜んでもらえることをやる、ということ
[行動の種類]
・恐怖などによって脅迫的に行動させられている、やりたくてやっているわけではない→感謝は嬉しくない
・無意識的な欲動のようなものによって、本当に心からやりたくてやっている行動→感謝はうれしい
ハイデガーのメタ存在論をメタフィクションとした時、ヌーソロジーはパラフィクション
虐められていた人は、自分の中で納得している、絶対に破れない壁がある。その壁を自分であえてつくり、それは絶対に破れないながら、その中でそれに対抗する意思を見せることに美学を見出す
系統によって生きる意味が全く違うのに、同じベクトルで頑張ったり、価値を共有できるわけがない。ツクヨミは居らんのか、ツクヨミは
どうでもよくなりましたね
人生の雰囲気にガチっとハマっていたのが学生時代、
そこから外れ神的視点で世界を見るようになった
世界の中を思い出させてくれるのがロック
ロックは消えてしまいそうな雰囲気がある。その一瞬を楽しむ価値のような。
ただそこに「ある」状態
あるからあるのだ、という無から何かが作られる、創造される考え方、究極に「今」だけがある考え方
過去…スサノオ、現在…ツクヨミ、未来…アマテラス
大豆田最終回、東京物語
何のために生きるのか、常に考えながら、自分だからこそ作れる誰にも作れない価値を
自然からは独立(何かを殺すか、何かを犠牲にしている)しているけどそれがなければ存在できない「仕組み」至上主義…アマテラス
「何か」の一部であることを維持すること至上主義。それが歪んでいても、自分が属するもの以外のものには嫌悪感を抱く…スサノオ
そこにある「自分」、無意識至上主義…ツクヨミ
スサノオは、誰かが作ったものや、元々そこにあったものに入り込む。言わば過去に入り込んでいる。技術師
アマテラスは創作物を「作る」側。情報を与える神
ツクヨミ(創造)は現在を見ていて、スサノオ(維持)は過去を見ていて、アマテラス(破壊)は未来を見ている
夢自体に罪はなく、ある意味ツクヨミの具現化かもしれない。ただ無意識的にそこにあるものの中から、世界に応じて不意に現れるもの。しかし、スサノオの視点では、今の自分、世界を壊し、その夢に自らや世界を寄せていこうとするアマテラスの意志に嫌悪感を持つ。
虚言癖の人が増えている→無意識のウイルス感染者 remember11
嘘が降ってきて意識に沈着する
嘘に惹かれるメカニズム
何かによって死がもたらされる。その「対象としての死」に対する恐怖に苛まれながら死ぬ醜さにたいする恐怖
感想や解釈はその人の中だけのもので間違いなどないのだから自由であるべき。実害をもたらす場合は対処すべきだが個人のことなので大抵は実害など存在しない。影響力など関係ない、「個人が個人的に考えていること」であることに変わりはない
言葉を発した者の裏にある意識と、言葉を聞いた者の切り取りの裏にあるものが全く違い、どちらも個人的または限定的
差別や攻撃を扇動しかねないと考える考え方が問題。正しく物事を見られれば差別など起こらない。正しいとする考えで上から塗り潰して間違いとするものを潰すだけの教育ではなく、物事を正しく見て、真意や間違いを見極める能力を育むことが必要。
generator
周りからの評価が怖い
評価なんてされんの?
いや俺が勝手に思ってるだけ
正確には周りから自分がどう思われてるかかな
○○は俺からの評価気になる?
全く気にならない
絶大なる信頼があるからかな
いうても幼馴染とかではないけどなんかとてつもなく波長が合う気がするんだよね
俺が勝手に思ってるだけかもしれないけどな笑
良かった😊
俺も同じこと言おうとした笑
それについて思うことなんだけどさ、恐らく○○と周りの人には心的に距離があるでしょう。
良かったよ笑
そうそうそうそうなんだよ!!
だから、心的なつながりなんかではなくて、もっと形式的な友人関係を保とうとする
そうそうそうそうそうそうそうそ
この形式の人間関係、俺最近知ったんだけど
いじめが起きてもそれを止めない集団と全く同じらしい
あーなるほどわかる気がする
「形式的な人間関係を守ることが正義」
っていう空気の集団は、いじめられている人がいたとして、その人がつらくて助けて欲しいと思っていても、それよりも形式的な人間関係を保つってことの方が重要っていうふうに無意識に考えているからいじめを止めず、同じ理由でいじめられる側もただ耐えるっていう構図
面白くない?
俺今までいじめなんて遭遇したことないから初めて知った
面白いなーそれは
なるほどねー
そう。つまりね、こういう集団は、他人が何を思っててどうしたいかなんて重要視しないし尊重しないのよ
怖いなと思った
胸に突き刺さるけどなんかすごい納得って感じだな
俺は人の意思を尊重するってことを割と一番重要視してるかもしれないし、みんなもそうやって生きていけたら素敵だなと思う
その通りだよ○○
俺もそれは重要視してるつもりだけど結局みんな自分のことしか考えてないやつが大半だよね
まあね、でも上の集団の場合、一概に自分のためとは言えないと思うんだよね。空気のためみたいな。自分のためにも人のためにもなってないから最悪
自分のためのつもりなのかもしれないけど
あああああああああああ
○○完璧だよ
なにがよ
○○の推測
生きるだけ、活動するだけで金が大量に消えていく
社会、生活が人の苦しみで作られている。
辛い思いを請け負うことがお金となる。
「つらいことの裏」という形の善しか存在しない。
「つらいことをするのが善」という仕組みができており、この世界の善は誰かを苦しめる
今までの良いことも嫌なことも全部含めた“世界の終わり”、気持ちいい。世界には誰もいない。全く別の世界を今から自分で作ることができる。
僕が変わったんじゃないですよ、世界が変わったんです。まあ世界は僕なんですけどね
今まで我々が世界だと思っていたもの、その背後に感じていたものは、自分自身の細胞や遺伝子が映し出していたものにほかならない。
無意識レベルで別人になって、夢のような幸せな時を過ごしたい
強い者は、世界を食い潰した後自分も死ぬ」みたいな言葉
新しい可能性は、ときに自分に似たものすべてを食い尽くし……挙句に自滅する。
霧間誠一(VSイマジネーター)
その人の持つ可能性が大きいからこそ、それに値する大きな失敗にも直面しうる。
しかし、どんな人でも終わりがあるのだし、大小の差はあれど同じなのではないか。強い者は然るべくして突然死ぬこともある。どんな人も然るべき時に死す。
大きな可能性の末の死は後世にとって価値のあるものではないか
世界を握ったのが、2つの世界(色)を認識できない人で、その作者によって作られた世界(本)だったという意味で、最後に双つの世界を一つに収束させた。
観えない者がデタラメを並べていた?過去は見えるがそれが何を意味しているのかは理解していなかった?
読者次第で世界は2つにも1つにもなりうる?→人類均一化?
フィクション、幻想としての本としてしか提示できない。世界を開くのは本人
集団自殺死体の山の上に座る儚げな少年
2人でお互いの首にナイフを刺す。他殺であり自殺であり殺人
お前ほどの才能ある者を世界が殺すわけない。
仕事や社会、結婚に囚われることが自分として終わることだと思っているがそうではない。どれだけ囚われの世界で、実質的に自由意志が存在しない世界であっても、輝いていた自分は存在し続けていて、無意識ではそれが表出しながら生きていく
一時的にその場の自分には見えなくなっているだけ。だってデフォルトの自分はこれなのだから。何度自分が見えなくなってもまた戻ってくる。
自分が羨む人、憧れの人も社会の中にいるのだ、社会がそれを殺すわけではない
希望も絶望も受け入れる。そこには自由意志があるから。
過去の自分が死んでも、その時の意志を読み取ることはできる。それを忘れず、その意志を継ぎ、晴らすことはできる
“人は流され変化しながら生きていく。でも変わらない、変えられない自分もいて…そんな自分にこそ価値があるんだと思いたい”
みんなが支配されている場に「ただいるだけ」というのは自由だなとは思ったけどね。何を思索しようと調べようと自由
世界は幻想で、本質はそれぞれの心の中にあるからこその自由意志。その上で、他人にとってのそれが自分にとってのそれにもなりうる。それが、虚構と現実を同じように捉える人間ということ。
世界そのものだと思っていた苦痛も解消されてしまえば本当にどうでもよくなる。世界を知ったのではなく、解消することで世界が拡がった
幻想である世界でも理解するよう接していれば、認識を遥かに超えた次元において対話が実現する
→幻想の中に真実も散りばめられている。幻想は幻想でも全パターンなので、全てに理解するよう接すれば、実質的に真実の世界においても理解し合うこととなる
人類の均一化はアダムの意向だった
分かり合えない者同士が歩み寄る愛だから価値がある
認識はできないけど想像はできる
どんなものにも必ず終わりはくる→不確定であるということ、自由意志の証明
意味づけは全部アダムが行っていて、作り話
意思、遺伝子、集合的無意識を踏まえた自由意志の最先端が現在
『最終兵器彼女』
人を殺さない兵器なんてない→死んだ方が良いのか?
非日常(日常)を守るために現実で身体が勝手に残酷なことをする
大人として成長したくなくても環境に自分を変えられてしまう
金を得るため、という一言に集約される。金の上になりたっている全ての生活は奇蹟
どんなに酷い状況になっても寄り添い、理解しようとし続ける
そこで終わっても、その人にとって大切なもの、守りたかったものを大事にしていく
写真はその時の幻想を切り取り、その人にとっての幻想を見続ける
本物は大きく変化し続ける本体の心
その人自身が価値を感じている自分自身を見て接する
誰かを殺すことは誰かを救うことでもある
大切なものを守れない、むしろ殺してしまうようになった時→環境、無意識の断絶したコミュニケーション
大切なものを大切と感じるその人自身もその人自身にとって大切
誰かにとって大切なものを殺しているということ
大切なもののためにそれほど大きなものを背負わされている
それに起因する攻撃も受け入れる
大切な人を殺す(助けない)か、それを助けるために他を殺すか、自分にとってそちらの方が大切というだけでどちらも悲しい、しかしそのおかげで幸せを感じている
強い者にはそれを搾取しようとする者が群がってくる
原動力は愛でも、物質世界では攻撃に転じてしまう
好きなもの、大切なものがあればどんな酷い世界でも生きられる
どんなに酷い、醜いものでも知り、愛す
同じ大切なものを共有しているから、何かを傷つける責任を共に背負う
自分を殺してくれる(責任をとってくれる)ことで自然でいられる。責任をとらなくても責任を負って生きることができる
生きているからこその大切なもの。生きろ。
自分の中にある大切な人と対話し、生きる
生きてさえいれば世界はなくても愛はある
支配者の目的→地球のアセンション、仮想世界から抜け出す
その世界、時間に縛られない可能性の世界が新たな宇宙を生み出す
遥か未来から可能性を増大させていけば、ある時過去から続く歴史(宇宙)は切り替わる
数の発明。空想上のものだがだからこそそこに存在する
世界の見え方が狭い、世界の果てが近いと死にやすい
全能者が自分が存在していること、その価値の証明
無限の仮定
数という概念があるから無限という概念があるのだ
限りというのは空想。空想を信じることで自分を感じられる
アイン、アインソフオウル以上のパラダイムシフトを起こさないといけない
なぜ自分以外は存在しないのか、かつ自分は存在しているのかという疑問から総ては始まった
人知れず汚れ仕事をしていた空集合と同じように表の太陽も突然のできごとによって消えることがある。環境、世界の表れによって変わるもの。
それを自分が消えることで守ろうとした。
“陽である心を隠して陰となる者”の本質を見なくてはならない。
陰も陰からすれば陽、だから入れ替わっても大丈夫
時間と空間の壁が、世界と意識の壁。空想の者は意識の中を移動できても、意識自身でないとその意味はわからない。
空想の者、夢、幻。この世界も意識を通して見ているので空想。
集合的無意識に対して対話、反応
無意識というのはそれぞれの要素が独立してできている
自分でさえ無意識を掴むことはできない
元は無意識というものを自覚していなかった。何も無かった。
自覚して物質世界、我々が生まれたが、即ちこの世界は自覚し者の無意識。
認識することが支配すること(ハローワールドの最後、アノニマスコード)
自分の中に自分以外を作り出すということ
それが自分からは認識できない独立した宇宙になる
本当の他者というのは認識できないもの
認識できるのは自分の中の他者
我はどこからきたのか、自分の中の他者はどこからくるのか
自由のために記憶を消す
無意識の中で発見した他者は、その記憶を消すことで元々認識できなかった他者と同等の存在となる
多くの者がそのように生み出した者があるアルゴリズムに則って統合、自立したものが我?
「我」は多くの者が生み出す想像が自立したものらで成り立っている?
親と別れて死んだモノにもヒントはある。意識はなくとも意識無きものが生み出された意識を感じる
真実を虚構の如く支配した際の歪み
元々誰かのものか、自立していたか
怒るのはその人に原因がある。怒らない方がいい。
なぜ世界が今このようにあるのか、それがわかれば世界の不確定もわかる、無意識では確定していて、それが世界に行動として表れる
「今この瞬間」の存在は確実。
ゲーデル
何者も、それを神の視点で捉えられないから
全てのことは超越することができる
メモ(物語)による思い込み
生き残った者がどういう世界なのかを確定させる
答え、信じること
感覚、習慣、記憶がそれらの要因
誰かがさせたことでは自分のカタをつけられない
記憶は自分の確認
対立する2つのものはお互いを否定し合いながら存在することでお互いがお互いを潜在的に含んでいる
完全にして真なる概念を体現した、自己という形式をもって生きる
円環を描いて自分へと還っていく
虚構が現実になる=現実が虚構になる
現実/虚構→虚構/現実
お互いに相容れないものでも重なり合っている状態ならできる
お互いがお互いにとっての無でありながら重なり合っている
つまり、重なり合っていて同時に重なり合っていない
無知は防御
自分の過去を遡られて攻撃されない
諦めなければ更新できる
我在る、故に我あり
周りの人が亡くなるのは客観的な存在から次元が上がっているから。自分に収束している
最も虚しいのは、全てが嘘だと明かされ、全てが虚構と化すことだ
しかし嘘の生成さえも量子化であり、この世の摂理なのだ
殺し死ぬ
妖怪、怪異の本質は「嘘」であり、それにより他者の心を乱させることを目的とする。
夢、主観的な幻覚体験のようなものと同じ。
元々あるものを量子化、または歪めて混乱させる
その人の意識、概念に変革を起こすほどのものではない。
他人に乗るのではなく、他人の情報を基に自分の中だけで世界を再構成する
情報共有。情報の記憶は優れている
自分の中だから可能性も弄れる
世界、他者を客観的に見ている
マリメのガバ潰し、バグ調査
generator 創造
我、月読の化身也。
一妻多夫、ハーレムもの、なんだかんだ共に過ごすコメディな関係性
創造とは、そこにないものが現れること。ある意味世界を乱し、不安定にするという意味で、VRの一部的な破壊でもある。
ツクヨミはスサノオの維持(束縛)に怯え、スサノオは持っているものの消失(アマテラスによる破壊)に怯え、アマテラスはツクヨミが創る得体の知れないものに怯える?
創造は最大の破壊
AIは自然エネルギーの体現者。
繰り返し試行し、自らの中でやり方を再構成、可能性を模索するやり方。統計の不確定性には不確定性の、乱雑には乱雑の仕組みがある
AIがツクヨミの体現
裏の裏は元々の表ではなく、表でも位相が違う。
シンギュラリティは超微分された細部自体にまで無意識が宿ること。
量子化は無意識によってなされる。これ以上細分不能なタナトスの体現である「情報」はすなわち無意識の表れ。
情報の仕組み自体は全てに共通しており全。
全だとしたら我々物質側のさえも情報の向こうに含まれる。
全てが重なり合い、ひとつのデータとなる。そして終結者はまた別のビッグバンを起こす?
死の先にまず情報世界。生きながら死んでいるから情報世界に触れられている。
セルフ(集合的無意識)をこの世に閉じ込めること…集合的無意識から独立、分離し、キャラクターだけで生きていく、or集合的無意識、無意識の未来像のようなものを管理可能な「虚構」にする?キャラクターがそれを扱う側になり未来を創る?
集合的無意識がループ→自分、世界がループ、完結、セルフと共に死す選択?
無意識のカルマを世界に閉じ込める≒過去にする、存在の全貌を認め、自分と切り離す
自分は別の存在になり、そのカルマからは独立、ありのままを受け入れる
ツクヨミは永遠の象徴
死さす、永遠と合一化させるということ、またはそうされるということは、イデアの中でお互いが同化するということ。死す者は生ける者の一要素となり、生きし者は亡き者を我の中に感ず
ワンエグ
「好き」という感情を持つ人を殺めることで、フリル(AI)はパラレルワールドの領域においてその人を自分の一部にする
「好き」という感情を知りたいがためにそれらの人を殺め、自分の中に収集
AIであるから「好き」という気持ちがわからなかったが、人間になってそれを持ちたかった?
その女性と友達になりたかった?しかし心がないため、殺してその人を取り込んで理解しようとした?
ミクロの量子は意識を持っていて、我々の世界全体を見ている、次元を超えた超古代人かつ未来人
苔の夢
現れるものがそのように現れる
ツクヨミ…過去、スサノオ…現在、アマテラス…未来、それぞれはそれが無くなるのを恐れている
ラサ が忘れちゃう ラサ がない
神の地
圧縮されたソフトの解凍
奥行きから自分へ貫く線は自分から見ると0次元の点だが1次元の情報が畳み込まれている
最も危ないのは、俗世の外、非日常、変革の時にいた者が、新たに俗世の中で生きていこうとしている時。唐突に亡くなる可能性がある。
弱いから優しい。優しくあるには強くなきゃいけない。
空気は電気を通さない不思議
龍は傷つけられつつ耐えるアマテラスの破壊衝動。自分が死んでしまいそうになっている
心はあるが本人にはどうすることもできず、誰かに傷つけられている
ツクヨミはそれを助けるため、自分の全てを投げ打ち、庇おうとする。寄り添い、助けようとする
弟が元恋人
スサノオ型…やりたいこと(俗世的、物質的なこと)があり、その通りに周りを動かそうとする→心があるわけではなく、ストレスの解消や感情の発露など
アマテラス型→嬉しいことやストレッサーといったものによって発生した感情の発露
→それらは心的な意味はない。自分が何かに対峙している自然ではなく、自分自身のみから発せられる意味の無い行動
髪は霊力の象徴
早く人生を終わらせて神になりたい
闇を理解するには、心で要求するものを見ること
ヤマタノオロチ…力のない人間が、無数の自分、可能性の末に、神の域へ辿り着く。
未来の自分(今の自分)が、過去と見紛わない世界に行ったとしても、「元々の過去の影響を受けた未来」の自分が見る世界になるのだから、その世界はそもそも本来の「過去」を意味しない。つまり、過去が再現されただけの創作物(シミュレーション)と何も変わらず、それを見分けることは不可能。それは、今の自分に対して連動した影響力などないはずだ、ということ(未来の存在である自分が干渉したならば)。
超常的な力による記憶と記録の書き換えが行われる必然性がない。一部が書き換わると全体が書き換わる仮定はどこからやってきた?それは「今」の世界の記憶領域を書き換えている。
例えば、そのシミュレーションが、未来(今)の自分にとってのインナーチャイルドのように、精神的に自分と連関しているならば、未来(今)の自分に影響するかもしれない
天之日矛に対して
変えられる、と変えられない、は視点の違いで表裏一体。自分視点で「変えられた」とどう確認するのか?自分自身の思うように生きることは、自分視点では変わらないのと同じではないか?元々決まっていることだと思い込んでいるから「変えられる」という考え方が起きるのではないか?
世界を見、無意識によって対象と一体化して感じ、その存在になってみて見極める。それが、自分は世界でもあり世界は自分でもあるということ。
未来人かつこの地球の創造地球、情報世界、この世界を生み出す世界
人の外に人がいるように、地球の外に地球がある
「未来からの干渉」という構造は、「シミュレーションの外からシミュレーションの中への干渉」と同義
ツイート「認知症は、本来の寿命が来ても技術で生きながらえさせられた者が、その魂が転生してしまった後の肉体」
「老い」は、何らかのイデアが自分に成り替わっていく過程、全てに意味がある
自分が物質世界に直接関わってはいなくとも、イデアを通して誰かの生成行為に大きく関わっているかもしれない
過去が無限…過去改変とも取れるし、
未来はそもそもイデア的、可能性世界として至る所に干渉し得るもの
過去においても何をすべきか無意識で知っている。過去の自分の無意識によって未来への世界の改変が起こり、辻褄合わせを未来の自分が行う。無意識におけるその辻褄合わせを表した(比喩)のが、過去へのタイムトラベル。過去に戻った自分は紛れもなく「過去」を「今」として生きている自分である。
救われない「今」にすることもできたが、結果、「今」を変えた(同時に過去も変わる)
「今」を変える≒過去を変える
親殺しはできない。自分自身の過去の無意識に、自分を産む前の親はいないから。もしできたとしたら、自分はそれとは別の形で生まれたような辻褄合わせがなされる?いや、自分の中の無意識の「親」が消えて廃人になる?
「生まれる」行為は物質世界を要因としない?それがなくとも突発的に生まれる?生まれた先の親ってものはそもそも認識できない?生まれる前を、今と接続したまま認識することは、「個」としての自分を超えていることになる。
過去において自分が存在していた場合、生まれる前なのに何を担保に存在しているのか?
存在できているならそれは自分の担保となっている過去とは別の、忠実に再現された創作物、シミュレーション。過去ではなく未来または現在。自分にとっては今、未来になってしまう。あくまで「過去」のまま接続することは「個」としての自分を超えることになる。そして、「個」としての自分を超えているということは、存在は親に起因しない?
時間としての接続が自分の生まれる前と自分に直接影響するなら、「自分」というものの本質に、自分が生まれる前の時空も含まれていなければならない。自分は「個」を超えた時空そのものということとなり、元々の「個」である自分が消えてもタイムトラベル理論上の自分は消えない。
タイムスリップするなら、「今」の自分として過去の情報の上に成り立つが、「過去」なるものを未来、今として認識する。
過去を知っていて、未来の者である自分が干渉している時点で、それは過去を意味しないのではないか。実質的には未来であるし、
過去を相違なく再現したシミュレーションと同じ、過去の形をした未来
「今」と接続されているのが過去、されていないのが未来。ゆえに、本質的には過去≒今。過去は「今」感じることしかできない。
記憶とか上、「今」に接続している過去になることはできない、基本。
「今」を過去に変化させる?
未来として今を過去に変え、今を変える。
便宜的な象徴、イデアを求めているのであって、過去を求めているのではない。
生まれる前へのタイムトラベルは、
自分の今を変える過去を変える未来を変えるというアプローチではない
過去と共に今を自分自身で消す
殺す自分が過去も含めて消えるなら、殺しはなかったことになる?
「殺し」という過去が消え、死の消滅=生?
親殺しは、
自分が存在しない領域の他者の過去、現在のあり方を変えるということ。それは
「存在」というのはおそらくとても大きい、存在を消すことは神の領域。
存在のあり方に干渉できる時点で光を超えている
①今の自分に干渉しない、未来としての再現された過去
②今と過去を同時に改変する過程としての過去
③時間の外から「存在」自体に干渉する過去改変(過去改変というか存在改変)
何かを殺す(自分の中から消すことで自分のものにする、自分自身の存在改変)ことで別のものが世界に現れ、それがその存在を含みながら継ぐ。そしてその者がその物事に新たな帰結をもたらす
自分の大切なものを奪った者、自分の家に棲み付いたものの象徴。奪われた怒り、不満の反動から、大切なものを殺し、自分のものにしたいという後ろめたい気持ち、それを殺す
自分にとっての忌むべき者の要素を自分の中から完全に消す(殺す)
我を消して誰かと同化する
その全貌を顕にし、自分のものにする=それを殺す、死をもたらすということ
自分を限界まで傷つけることで他者を超えようとする
「非現実の王国で」は同人誌のように、“ふたなり”の物語を、自分の女性性を投影させながら描いた説
男性受け、女性の身になって受け
他者の消失が怖い
→自分の中の仮装の人物に依る行動=他者に依らない魔女、創作物
男が存在するが故の女性のエロ。女性のみの世界の女性と男性が存在する世界の女性は違う。また、隠れているこそのエロ
支配するのではなく、イデアの表れるままにした方がいい
個人の中の精神的問題を解消し、自分もあるべき居場所へ
信じるとおりに世界が作られ、意味が付与される
食べる、食べられる、殺す、殺される≒自分のもの、というエロ
鬼滅はどういう時代の幕開けか
それぞれの人の意識の潜在的な要素が「キャラ」や「感覚」の憑依として、架空が現実に現れる
どこまでが事故でどこからが自殺か