idea
説教、炎上では、炎上対象の考えを知ろうという対話は求めていない
怒っている人の感情と、主観的な不快感に対して申し訳ない態度を取って欲しいだけ
全く問題のないことでも、〜かもしれないとか言って責任感等の話と結び付けられ、反省の色を見せさせようとする
(事実上全く問題は起きていない)
→学習させ、事情に応じた要請をするべきであるだけ
被害者の怒りが治まらないから死刑にする、酷い殺し方をするなどということが許されて良いのか
仕事に目覚め、本当の自分を取り戻した感じ
完全に垢抜けた
すごく良い意味で大人になった
大人は全員こうあるべきだと心から思った
すごい輝いている
この世界で最もおかしいこと。すべての人が自然体で存在することができず、生きるには何かの型にはまって苦痛を強いられる労働を必要とすること。否、そのような風潮で社会が形成されていること。
自分がやりたいこと(職業)がずっとないのは、やりたいことが自分の中で明確だったからなのである。自分のやりたいこととは、抽象的なイメージを探求すること。それには社会的な意味はなく、一般受けもしないので職業にはできず、また、人に見てもらうものは人に見てもらうことを意識して作るので本来の意味が表現できなくなってしまう。
つまり、自分のやりたいことは、誰かの需要が先行する職業ではない。
だから職業はそれとは別の生きるための手段だと割り切れれば良いのだが、手段であってもその職業に対して割かなければならない時間と労力と精神力と気力があまりにも大きすぎて、それをやった場合、本来やりたかったはずのことさえも、考えたくても考えられなくなってしまい、自分にとっての生きる意味、自分にとって大切なことさえ失われる。それを危惧している。
引きこもりの息子は母親の家畜でありおしゃぶり
国民みな怠惰、ほぼ仕事せず金が貰える議員のような生き方は理想、国民も文句は言うが何もせず、後は野となれ山となれ
騎士団長殺し、一人称単数、神様になった日、シンエヴァ、猫狩り族の長、
飛鳥昭雄「現実がフィクションを追い越した」
フィクション(幻想)の消滅、リアルとの接続
リアルの人格の考えや精神を共有、理解し合う世の中になっていく
理想としてのフィクションと、それを持つ作者の理不尽な現実との折り合いを、フィクションと現実との折り合いをつけて接続、一つの現実にする
現実の折り合いをフィクション側でつける(現実の自分を変える、または受け入れる)か、フィクションを変えて現実に則した理想像をつくるか
無意識と無意識の、雲を掴むような調和、コミュニケーション
自分が助けたい、でも見ていない存在はなにか。
自分の中の、見て見ぬふりをしている、救われたい概念を世界の誰かに還元、接続するとどうなるか
救いたい存在…何かを教える場で、何らかの形式を強いられ、自然でいられず、その形式を善とするような空気に晒される者
シミュレーション能力を
向上させて
現実化させよ
この世界が
なんであろうと
全て創ることも可能
仮想空間は
感謝や感嘆や感動の中に
あります。
肉体に見えるものは
全て見えない世界ともリンクが
濃厚になるだろうね〜。
円環を描いて自分へと還っていく
虚構が現実になる=現実が虚構になる
現実/虚構→虚構/現実
だから虚構を描いてきた人たちは現実を描き始めた??
それらの人は入り込むものを作ってきた、それらの人は現実にも入り込んでいた。自分は現実に入り込まず創作物のように捉えていた
抽象的概念に基づいて現実が作られるようになる
精神の空間的存在=「自然」
コロナでネットが社会化、現実が侵食
フィクションが侵食してきているのではなく、現実が虚構化してきている説
現実の虚構化の上には
孤独と、自分の業、無意識の表れ、その共有
時間なんて存在しない、長期間の不確定の感覚、一週間も数百年も変わらない。
変化は変化の内に入らない
そうやって時を超えて数百年過ごしてきたから、1ヶ月の寿命でもセミは必ず鳴くのだろう。
fps、ゲームの視点にどれだけ移入するか
アニメの作画、無意識の美ではなく機械美
ネット小説の様式→キャラ、シチュにどれだけ入り込むかという楽しみ方
アイドル 宗教 思考停止で憑依し入り込む
仕事もそう、誰かが作った創作物の中で働いている
自分が虚構を見ているのではなく、自分以外のみんなが虚構を見ているという怖さ
自然ではなく、人工的なもののはずなのに、いとも簡単にその創作物に入り込んでしまう
作者が見えない、もはや作者は存在しないのです、おそらくキャラクターや世界が勝手に動くいていくように創作している。
適応しにくいゲーム、知らない世界に適応していくのが一生
世界は私を説得できなかった、というのも自然の摂理
私の無意識によって世界が崩壊しても、そこに世界がなかったわけではない。
私と世界との自然の成り行き
「その人のためになりたい」は、その人の本質とは関係ない自分のエゴ。その人の欲求は表面的に歪んだものかもしれない。その人の本質的な「自然」に対して、そのためになると思ったもののみに対して手を差し伸べるべき。
客観的対象に自分が入り込む→幽体離脱
○○さんは未来に眠る→人類は環境のための糧となる
三大欲求から放れろ
母
こうあるべき、という理想像のために嫌なことがあっても行動する、いやなことが多いとしても、本質的にはやりたいからやっている→行動している時点で少しの心はあるから、形式的な少しの心の感謝でも少しは嬉しい
心がこもっていなくても、その人が喜んでもらえることをやる、ということ
[行動の種類]
・恐怖などによって脅迫的に行動させられている、やりたくてやっているわけではない→感謝は嬉しくない
・無意識的な欲動のようなものによって、本当に心からやりたくてやっている行動→感謝はうれしい
ハイデガーのメタ存在論をメタフィクションとした時、ヌーソロジーはパラフィクション
虐められていた人は、自分の中で納得している、絶対に破れない壁がある。その壁を自分であえてつくり、それは絶対に破れないながら、その中でそれに対抗する意思を見せることに美学を見出す
系統によって生きる意味が全く違うのに、同じベクトルで頑張ったり、価値を共有できるわけがない。ツクヨミは居らんのか、ツクヨミは
どうでもよくなりましたね
人生の雰囲気にガチっとハマっていたのが学生時代、
そこから外れ神的視点で世界を見るようになった
世界の中を思い出させてくれるのがロック
ロックは消えてしまいそうな雰囲気がある。その一瞬を楽しむ価値のような。
ただそこに「ある」状態
あるからあるのだ、という無から何かが作られる、創造される考え方、究極に「今」だけがある考え方
過去…スサノオ、現在…ツクヨミ、未来…アマテラス
大豆田最終回、東京物語
何のために生きるのか、常に考えながら、自分だからこそ作れる誰にも作れない価値を
自然からは独立(何かを殺すか、何かを犠牲にしている)しているけどそれがなければ存在できない「仕組み」至上主義…アマテラス
「何か」の一部であることを維持すること至上主義。それが歪んでいても、自分が属するもの以外のものには嫌悪感を抱く…スサノオ
そこにある「自分」、無意識至上主義…ツクヨミ
スサノオは、誰かが作ったものや、元々そこにあったものに入り込む。言わば過去に入り込んでいる。技術師
アマテラスは創作物を「作る」側。情報を与える神
ツクヨミ(創造)は現在を見ていて、スサノオ(維持)は過去を見ていて、アマテラス(破壊)は未来を見ている
夢自体に罪はなく、ある意味ツクヨミの具現化かもしれない。ただ無意識的にそこにあるものの中から、世界に応じて不意に現れるもの。しかし、スサノオの視点では、今の自分、世界を壊し、その夢に自らや世界を寄せていこうとするアマテラスの意志に嫌悪感を持つ。
虚言癖の人が増えている→無意識のウイルス感染者 remember11
嘘が降ってきて意識に沈着する
嘘に惹かれるメカニズム
何かによって死がもたらされる。その「対象としての死」に対する恐怖に苛まれながら死ぬ醜さにたいする恐怖
感想や解釈はその人の中だけのもので間違いなどないのだから自由であるべき。実害をもたらす場合は対処すべきだが個人のことなので大抵は実害など存在しない。影響力など関係ない、「個人が個人的に考えていること」であることに変わりはない
言葉を発した者の裏にある意識と、言葉を聞いた者の切り取りの裏にあるものが全く違い、どちらも個人的または限定的
差別や攻撃を扇動しかねないと考える考え方が問題。正しく物事を見られれば差別など起こらない。正しいとする考えで上から塗り潰して間違いとするものを潰すだけの教育ではなく、物事を正しく見て、真意や間違いを見極める能力を育むことが必要。